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ツムグは、逃げていた。
涙が溢れて止まらなかった。
父親が、包丁を振り回しながら自分を追いかけてくる。
逃げた母親の名前を叫びながら、ツムグを殺そうとしていた。
度々覚せい剤を使用して錯乱状態になる父親。
しかし、ここまでおかしくなったのははじめてだった。
殺される。
実の父親に、手違いで、殺される。
そう考えると、親子の情などへったくれもあったもんじゃないと思えてきて、ツムグは涙が止まらなかった。
「た、たすけてっ」
家から逃げ出し、通りに出たツムグは誰ともなくそう叫ぶ。
深夜の路地にツムグの声が虚しく響いた。
「だ、誰か」
背後でドアが開いた音に絶望しながら、ツムグは助けを求める。
すると。
「ワタシで良ければ」
ちょこんと、可愛らしい女の子が立っていた。
分厚いレンズのおしゃれメガネをかけた女の子が、にこにこと笑いながら立っている。
いや、どちらかと言うとにやにやと言ったほうが近い。
「え……」
ツムグが戸惑う暇もなく、少女はすっとメガネを外す。
そしてメガネをぎゅっと握り、ツムグの父親をぶん殴った。
派手な音を立ててツムグの父親はゴミ集積場に突っ込む。一発KOだった。
「ふふっ、このメガネは防弾仕様なのよ?」
メガネは使っていない。手でぶん殴っていたと突っ込むこともできず、ぽかんとツムグは少女を眺めている。
美しい少女は、しかしどこか輪郭がぼやけて見えた。
今まで泣いていたせいかもしれないが。
「さて、ちびっこよ」
自分も小さいくせに少女はそう言ってツムグを見下ろす。
「ワタシはあなたの命を助けたわ。だから、あなたの命をもらおうと思うんだけど」
少女がすごいことを言い出した。
「どう?我が社で働かない?衣食住完備、なんだったら護衛までつけてあげるわ。まあ、全部費用はあなたの借金になるけど」
ツムグは少しだけ父親を見る。そしてすぐ少女を向き直る。
「……いいよ。ボク、人並みに生活してみたい」
少女はツムグのやせ細った腕を取り、ツムグを立たせた。
 
 
少女はツムグを自転車の後ろに載せて走る。
その側をリムジンやナナハンバイク、シビックが守るように並走する。
運転手が腰に拳銃をさしていたり、左脇が不自然に膨らんでいたりするのをツムグは驚きとともに眺めていた。
少女は乗り物酔いがひどく、自転車以外乗れないのでこんなことになるとか。
厳重な警備に安心してきたら、ツムグに突然震えが戻ってきた。
包丁を振り上げた、父親の顔。
なんども、なんども、なんども。
怖い。悲しい。寂しい……。
ツムグは少女にすがる。少女は器用に、後部座席のツムグの頭をぽんぽん、と叩いた。
 
 
 
野井夫妻は空虚に暮らしていた。
夫妻のやっとできた一人息子がひき逃げで殺され、そのカタキを自分たちで討ったものの、その後どう生きていいかわからなくなってしまっていた。
カタキをなんども自動車でハね。
息子と同じ苦しみを味あわせ。
生き埋めにした。
そこまでしても、悲しみは薄まらなかったし、結局相手をはねればはねるほど憎しみが増し、どうしていいかわからなくなった。
憎しみが噴出し、顔も見たくなくなってきたので相手を生き埋めにしたが、その後、夫妻は突然警察に捕まることが怖くなった。
警察に捕まったらどうなるのだろう。怖い警察官に怒鳴られたり、殴られたりするのだろうか。刑務所に入るのは嫌だ。固い椅子やベッドしかなく、腰痛が再発したらどうしよう。ああ、どうにか捕まらずにすむ方法はないか。
相手を生き埋めにした地面の上に立ちながら、夫妻は心底それを心配して話していた。
そんなとき。
少女が手を差し伸べたのだ。
おかげで彼らは顔や戸籍を変えることになったが、少女の会社に匿われるかたちで、警察に捕まる心配はしないで暮らせるようになった。
しかし。
心配事がなくなってしまうと、ただただ虚無感が二人を支配するようになった。
いまさらだけど。
カタキを討っても、息子は生き返らないのだ。
ただ、それだけの真実が、理解するでもなく納得するでもなく、しかし否定するでもなくぷかぷかと日常に浮かんでいた。
処理できない真実が、いつも目の前にあった。
そんな時。
ツムグが上司として二人の前にあらわれた。
息子と同じような年の上司に、二人は最初戸惑ったが、すぐにそれは楽しみへと変わった。
物覚えのいいツムグはあっというまに二人の仕事だった爆弾作りを覚え、それ以上のことをやるようになった。
二人の楽しみはツムグを出世させていくことになった。そしてそれが、生きがいになった。
ツムグはあっという間に社長からの借金を返し終え、貯金までできるほどになった。
優秀な社員、そしてチームとして社内でちやほやされ、快適な生活をおくれるようになった。
ツムグも野井夫妻も満足していた。幸せだったと言ってもいいかもしれない。
しかし。
ある時、突撃部隊と共同作戦をすることになった。
ツムグは遠隔操作の爆弾でサポートしつつ、オペレータとして助言する。野井夫妻は連絡役。その打ち合わせの時に、突撃部隊の少年兵が、ツムグたちの研究室を訪ねてきた。
少年兵は部屋にあるテレビや、お菓子に興味しんしん。ツムグは最初は嫌がっていたが、ふと夫妻が見ると、二人で団子になって笑い転げていた。
ツムグの最後の望みが叶った瞬間だった。友達がほしい、という。
任務が終わったらまた遊びに来る、と言い残して少年兵は仕事に行く。不釣り合いな社員証が軍服のボタンに当たってかちゃかちゃ言っていた。
ツムグは気合を入れてサポートにあたった。これまでツムグがサポートをしてきた部隊で任務を失敗したところはなかった。しかし、それでも、少年兵の顔を思い出しながらツムグは確認作業に入った。
だが。
作戦スケジュールが、漏れていた。
次々と凄腕の突撃部隊の兵隊が殺されていく。GPS画面から兵士を示す矢印が消えていく。思わずツムグは逃げろ、とマイクに向かって叫んでいた。だが。
画面から、矢印が無くなった。
ツムグのミスでもなければ、突撃部隊のミスでもない。情報管理は作戦立案をする企画部の仕事だ。
それでもツムグは、一人だけ帰ってきた突撃部隊の隊長をせめた。
その場にいたのに、どうして撤退命令を出さなかったのか。
どうして、助けられなかったのか。
隊長はただツムグに謝り続ける。
ツムグとてわかっていた。手塩にかけて育ててきた部下を、長年の仲間を失った隊長が苦しんでいないわけがない。撤退命令が間に合わなかったことも、助けに行ったがもう殺されたあとだったことも、わかっていた。
しかし、彼は出征前に約束したのだ。必ず少年兵を死なせないと。ツムグに約束したのだ。
たくさんの宙ぶらりんになった約束に、ツムグはどうしていいかわからなくなった。
ライダーの7話は彼と見る約束をしていた。任務の時間で見れないことはわかっていたから、ビデオに録っておいた。カードが入っているチップスを食べながら、一緒に見ようと楽しみにしていたのだ。
結局いまだにツムグは7話を見ることができていない。
 
 
それから、ツムグはつくづくこの会社にいることが嫌になった。テレビドラマが羨ましかった。同い年の子たちと学校に通い、将来のことに夢をはせる。そんな生活に憧れる。そういったツムグの様子をみて、野井夫妻はツムグに退職をすすめるようになる。犯罪から逃げて会社に入った自分たちと違い、ツムグは生きるための一時的な逃避場所として(株)ヤマタに入った。ツムグには幸せに、まっとうに生きる権利があると説得する。退職するために記憶を消されることになるが、これからも自分たちが一緒にいるし、思い出はこれから作っていけばいいという夫妻の言葉にツムグは退職を決意する。十分お金はあるしと夫妻にもツムグは退職をすすめたが、前科がある二人は首をふった。彼らは会社の外ではもう生きていけないのだった。
 
 
何が正しくて間違っているのか、最後までツムグは分からなかった。ツムグには色々なものが与えられていたし、いろんな力をふるえたが、それが役にたったのかどうかも分からなかった。
 
 
でも。
野井夫妻からもらった暖かいものや、自分が必死に手に入れてきたものは。
守ってみせるし、いつか役に立たせてみせる、と決意するのだった。
 
 
そして彼は、記憶を失っても。
壁の中の爆弾を、見つけるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
Fin.
 
 
 
20120816 16:57 河井猫
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