走り書きのメモに思い出を見よう

部屋にちらばった断片は残り香

微かな走り書きに魂は託されて 

 

 

 

 

ミィ博士は愛されないで育った。だから人間だけど、私より人間っぽくない。
いわゆる『望まれない子供』だったらしく、両親の顔も知らず義務的に家政婦と家庭教師に育てられた。
つまり彼女について簡単に言ってしまうと、ほとんど感情がない。
笑って見せるが、笑っていない。
困って見せるが、何も感じていない。
かろうじて不快感は感じるらしいが、ただ、それもひどくまれだ。
だからミィ博士は戦場で得た捕虜たちに人体実験を施す事に何のためらいもなかった。
 
彼女がこれまで生きてこれたのは、人並み外れて頭がよかったからだ。
・・・そう言うとミィさんは否定するけど。
ただ勉強しただけよ、といつもみたいに言うだろう。
他にすることがなかったから、と。
彼女は不快と感じるものが基本的には無いが、家庭教師の小言は不快だったらしく、不快感をぬぐう為に勉学に励んでいただけらしい。友人との会話や遊興に関心を示さないのだから、確かに勉学に励むことはたやすかっただろうと思う。
あと一つ、『知識欲』は持ち合わせていたらしい。知るということに楽しみを覚え、他に取り立てて欲求がなかったから、いつしか本当に勉強するだけの毎日を送っていたとのことだ。
だから35歳という若さで、他の要因はあるものの、研究所の所長になれるまでの知能を得た。
それに彼女は身体的にも恵まれている。175センチ65キロというバランスの取れた体躯に、病気をしたことのない強固な免疫系。キューティクルのそろったシルバーに近い色の金髪、やや釣り目ぎみではあるものの瞳の大きな青い目。一般的な美人とは少し違うが、健康的ではつらつとした雰囲気が全身から出ていて、思わず話し掛けたくなるような女性だ。
しかし。
話し掛けると、その外見とのギャップに違和感を覚える女性でもある。
会話ができないわけではないのだが、誰に対してもいつも決まった答えが返ってくるのだ。
例えば男性が彼女に話し掛けたとしよう。
それは彼女が好ましく思っている人だ、とあなたは思う。
彼女は差しさわりの無い会話をし、楽しい雰囲気のまま別れる。
しかし実は苦手とする男性と会話をしているとすると、それは不自然にならないだろうか。
誰に話し掛けられてもそうだとすると、不自然ではないか。
好ましく思っている男性と、苦手な男性と、まったく同じイントネーションで、表情で、内容で、感情で会話を交わしているのだ。
彼女はすべてにおいてそういった傾向があり、親しくなればなるほど不気味に感じるらしい。
つまり内面的には、あまりに不健康で無感動なのだ。
ただ、頭はいい。
礼儀作法もしっかりしている。
社会の歯車としては、使える人材だった。
 
今思えば、大佐はミィ博士を愛していたのではないだろうか。
大佐は研究所設立後に志願して研究所の監視役となり、主に軍の要望を研究所に伝え、そして研究所のデータを管理する仕事をしていた。
私は大佐が嫌いだった。
彼が私を毛嫌いしていたからだ。
色々嫌なことは説明できないほど言われたが、まぁ端的に言えば、奇形という言葉は彼から聞いて知った。
ミィさんは基本的に彼に対しても無感動だった。
彼との会話を見ていると、独り言を言っている時とまったくかわらない様子だった。
しかし私が彼に悪言を言われて傷ついているときだけは、同じように傷ついた顔をして、彼を睨みつけていた。
すると大佐はばつの悪そうな顔をして、そそくさと帰っていくのだ。
大佐が帰ったあとたまにミィさんは泣いていた。
私に謝りながら泣くのには手を焼いた記憶がある。たとえ私が許したとて、結局何も許されないのは分かりきっているからだ。ミィさんが過去に私の実の両親や、代理母や、受精卵の私に何をしたかじゃなくて、これまでミィさんが私のことが好きで、私に優しくて、今も私のことが好きで、今も優しくて、これからもそうであるだろうことが一番大事なのだが、頭いいくせに分かってくれなかった。そもそも自分で望んだ通りに生んでもらう人間なんて一人もいないし、物心つく前のことを言われてもピンとこないし困るだけなのだが。
・・・閑話休題、よくよく考えると、私を罵った時だけミィ博士は大佐を意識し、感情を示していたのだ。
子供の心理と同じで、無視され忘れられるよりは嫌われて覚えておいて欲しかった・・・のかも。
大佐は私たちをいじめる以外は真面目で優秀、人当たりのいい軍人だった。
そういえば研究所にも良くしてくれた。予算は潤沢にまわってきてたようだし、基本的に研究所の都合を優先してくれていた。
それが職務に忠実な元来の性格のせいか、下心あってのことかは今となっては分からないが、ミィ博士を処刑した後に衝動的に彼が命を絶ったのはそういうことかもしれない。
何しろ処刑は彼自身の手で行われたそうだから。
3つの研究所と付属病院で虐殺を行った罪の意識に苛まれて、という可能性もあるが、何千何万の人を犠牲にする人体実験計画を進めてきた張本人としては繊細すぎて不自然だろう。
そう思うと、アダムを焚きつけたのが大佐だったというのも納得できる。
ミィ博士はアダムを可愛がっていた。
私の見たところでは、男性としてはアダムが唯一ミィ博士に愛された人間だ。
といっても、息子や甥っ子としての可愛がりかたしかしていなかったが。
しかし私や姉妹たちにさえ嫉妬し憎悪を抱いていたとみえる大佐がその光景を見て、何も思わなかったはずはないだろう。
アダムは身体的には成人男性だが、精神的にはひどく幼い。
研究員たちから義務的な世話しか受けていないせいだろう。少しミィさんと似ているが、感情の起伏の激しいところはミィさんとは違った不健康さだ。
恋愛感情もまだよくわかっていないのに、子供、子供が欲しいとうるさく言い出しておかしいと思ったのだ。
ただ、大佐の思惑は外れたと言っていい。
おそらく、アダムが私と子供を設けたのを聞いて、ミィさんがショックを受けるだろうから、それを慰めるつもりでいたのだろうが、彼女は非常に喜び心から我々を祝福したあげく、以降は私と私の子供を無事に生存させる事にだけ心を割くようになった。
結果、ますますミィさんは大佐に注意をはらわなくなった。
残念だが、大佐の望みがかなうことは無かっただろう。ミィさんは先天的に他人に関心が低く、後天的に他人に無感動になった。私たちがミィ博士に愛されたのは、おそらく母性本能を刺激したからだろう。言葉にしてしまうと陳腐だが、現代人において残されている本能は少なく、また個人差も大きいことを考えると、妥当な線だと思う。ミィさんは三大欲が欠けていたが、知識欲と母性本能はあった人なのだ。まとめると、ミィさんは自分の生存や子孫を残す欲求よりも、自分の種族や文化を残す欲求の方が強かったのだ。そう考えるとミツバチの生態に近いな。働き蜂は自分の子孫を残さず、ひたすら女王蜂の卵を育て続ける。ミィさんが働き蜂だとすると、彼女は自分の寿命を縮めて子供を産むよりも、卵から孵った子供を育てて可愛がったりこれからたぶん種が続く限り維持されていくだろう巣の整備をしているほうが楽しかったのだ。
実際の蜂が楽しいかどうかは知らないが、実際のミィさんは私たちといる時は楽しそうだった。
働き蜂にとってオス蜂がどういう価値があるかを考えると、大佐の虚しさが伝わってくるようだ。
働き蜂にとっては卵を製造する装置の一部に過ぎないオス蜂が、憐れすぎるような気がする。
働き蜂に恋したオス蜂は、どうなるんだろうか。
それは興味の有るトピックス・・・ああ、苦しい・・・人工呼吸器なんて名前だけのもの外して頂戴・・・壊れて酸素濃度管理もまともにできてないじゃないの・・・待って、大分良くなってきた・・・でも私も長くないわね、この調子だと・・・ミィさんの処方箋もないし、血糖値もおかしくなって・・・え?会話を記録してるの?やだ恥ずかしい!どうしてそんなこと・・・そう、亡命するつもりなのね。そうね、それがいいわ。近々私はミィさんやアダム、姉妹たちのところに行っちゃうし、貴女を生かしておく理由も無くなる。貴女は正確には研究員ではないし、学術的に必要になる可能性も・・・気にしていたらごめんなさいね・・・ほとんど無いわ。・・・待って、待って、やだ、うふふ、そんなに慌ててしゃべらなくても聞いてるわよぉ。え?何?・・・・・・・・・・・・クズどもめ!死者をなお冒涜するか!!ミィさんを・・・ミィさんを殺し、その遺伝子まで玩具にするなんて・・・。・・・やだ、なんだかミィさんまで罵ってる気分になってきた。やーめた。前向きに検討しましょ。いい?これから言う事は記録しないで。
 
 
 
幸運を祈ってるわ。娘をたくした人たちが、そこで待ってる。彼らは頼りになる。もっとも、頼み賃が法外なんだけど・・・。今崩壊後の混乱で、少しは動きやすいはず。そこまで切羽詰ってるのなら、新設軍もそうそう簡単にはあなたに手をかけないはずよ。今更研究所の重みに気が付いたのね。・・・ん?そうね・・・どう言ったらいいかな・・・私は耳学問でしかしらないんだけど、科学ってのは、人間で作る建物みたいなものなのよ。まず先人がいて、その肩に必死によじ登って少し高いところまで建物を伸ばす。その肩にまた別の人が上って、また建物を伸ばす。学校はその建物の構造を教えるところだけど、研究所はその建物を作っているところ、建物そのもの。だからもし・・・人を全部取り払ってしまったら・・・ノウハウは生きてる人からしか学べないからね・・・見えてる土台を全部根こそぎにしてしまったら・・・もう、建てる事はできなくなる。科学だけじゃないけどさぁ、結局は人なのよね、人。極端な例だけど、神様じゃなくて神様を信じてる人がいるから宗教も存在するみたいな感じでさ。・・・や、神様がいるかどうかは知らないって。いても不自由しないと思うよ、うん。経験的に。・・・まぁ一度徹底的に破壊してしまった伝統工芸は、多分別の人間を連れてきて再建しようとしてもできないだろうね。だから、同じ人間を連れてこようとしたんだね・・・。馬鹿だなぁ。同時に生まれた一卵性双生児でも育て方が変われば性格も体格も趣向も変わるのに。
・・・はは、だいぶん意思疎通パネル操作するのにも疲れるようになってきちゃったな・・・。
元気でね。
幸せにね。
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