No.-001は空を眺めていた。手に持ったシャベルで時折素振りし、傍らの機械に動力をもたらす為に振り回しながら、空を眺めていた。No.-001は大きな建物の屋上から景色を目におさめている。その建物は元は研究所であった。最先端の情報技術を扱う、軍が管理する研究所だ。ただし、今はもう人はいない。研究していた仮想人格を持つコンピューターに乗っ取られたのだ。そのスーパーコンピューターは建物のおよそ半分を占めている。そしてNo.-001は、以前はそのPCの忠実な奴隷だった。
 
『何を見ているのですか?』
 
No.-001の耳元から声がする。正確には頭に半分埋め込まれている装置からだ。
 
「考え事をしていたんです」
 
自身の柔らかい髪の中に隠れるようにして存在する機械に、No.-001は返事をする。銀色のカバーで内部の複雑さを覆い隠すその機械は、本来は犯罪者の校正兼見張り用のものだ。今は人類の洗脳用に使われている。といっても、No.-001は傍においてある機械で既に洗脳から逃れている。そして、今のところ生きて活動する人間もNo.-001のみであった。
 
『…他の人間を、コールドスリープから起こす方法について、ですか?』
 
PC『リコ』は遠慮がちに訊ねる。その返事の代わりに、No.-001は手に持っていたシャベルを一回大きく振った。
 
「それにはPC『アキラ』へのハッキングしかないでしょう。私の仕事じゃない。あなたの役目だ。それより…」
 
NO.-001は口ごもる。『リコ』がこの件について触れて欲しくないことを知っているからだ。
 
「私のコールドスリープ装置の傍にこれが落ちていました。頑丈な電子ロックです。でも、これは…ネットに繋がっていなかった。つまり、誰か…いや、いっそ人でなくてもいい。ロボットや生き物が外さなくちゃいけないんだ」
 
『…』
 
「PCは外部デバイスの利用を極端に制限されてるはずです。人間に危害が及ぶ事が予想されてたから。『リコ』でさえスピーカーとモニターへのアクセス権しか与えられていません。ということは…ロボットがコレを外したわけじゃない」
 
『…』
 
「誰かが生きているんですね?PCのコールドスリープ作戦から逃れた誰かが」
 
『…』
 
「そして、生きている可能性が一番高いのは…あきら、です。彼でしたら『アキラ』への命令が容易ですし、人格をコピーする際に優先コードを仕込むことも可能だったはずです」
 
『…だとしたら、どうするんです』
 
「どうもしませんよ。気になっただけです」
 
『…あきらは、PC『アキラ』に命令をしました。他人を全て活動不能にしろ、と』
 
「しかし、PC『アキラ』にとっては…」
 
『そう。あきらも『他人』に含まれるのです。あきらには目的がありました。ですからPCに屈するわけにはいかなかった。それから…PC『アキラ』とあきらは戦いを続けています』
 
「…復讐、ですか?まだ人類が許せないのですか、あきらは…」
 
『…梨子の脳幹…つまり、生命維持を司る部分は、人格のコピーのミスにより実験の初期に完全に焼ききれました。しかし…初期のPC『リコ』が体の維持をする事によって、脳は生かされ続け、人格のコピーが行われました』
 
「え?」
 
『当時の技術では、彼女の意識を戻す事は、人間として生活できるまで彼女を治す事は、不可能でした。だから…彼女はPCに繋がれたままになりました。それは生きているとは言えません。というより、五年持てばいい方です。もはや死への秒読みが開始されていました。ところが、『アキラ』が国の中枢を乗っ取り、脳損傷の修復技術と梨子の身体維持のみを研究させはじめました。すぐさま研究材料である人体のコールドスリープによる捕獲が始まり、人体実験が行われました。その結果、今も梨子の身体の保存は成功しています』
 
「…」
 
『そして脳の治療技術はあきらと『アキラ』の力でこの十年で完成しました。…誰かが施術すれば、おそらく梨子は意識を取り戻すでしょう』
 
「…なんと自分勝手な」
 
『…ですが、あきらの身体は今は使い物になりません。あきらの不安材料はアレルギーだけでした。もし梨子にあわない薬があれば手術中に梨子を死なせてしまうかもしれません。そこで…使用する薬を全て、血の繋がっている自分の身体で試してみたのです。その結果、薬に問題は無かったのですが全身の不調に見舞われるはめになりました』
 
「で?代わりに手術をさせるために、私を起こしたと?」
 
『正確には手伝わせるためにです』
 
「分かりました。ちょっとあきらの居場所教えていただけます?」
 
『構いませんが…何をしに行くのです』
 
「いやぁ。ちょっと話し合いに」
 
『話し合いにシャベルはいらないでしょう。置いていきなさい』
 
「…じゃあスコップを」
 
『握る物を持っていくな、握る物を!本当に、何しにいくつもりです?』
 
「まず、話をきいて…それから、約束を果たすだけです」
 
 
 
 
 
 
 
No.-001は空を眺めている。梨子や諦が見ることのできなかった空を。空から降りてくる風がスパコンにつながる発電用の風車を回す。風を見ることはできないが、風にのっている雲の光に、No.-001は風の動きを感じた。遠くの空にはぽつんと緑色の大樹が存在する。木ではなく朝日なのではないか、と見まごう程の美しさに、No.-001はノドの奥で笑った。
 
何もかもが皮肉に満ちていて、No.-001には何一つ理解できない。
 
ただ、家族愛やら人類愛やら、愛とつくものの利己性と、諦めの悪さを笑った。
 
 
 
 
20100720
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